すべてがFになる【感想】
「すべてがFになる」
*ネタバレなしの感想です。アウトラインにざっと触れてはいます。
数年前から興味はあったものの、読む機会がなく放置していたこの本。ドラマ化されたことをきっかけに読んでみました。
一言で感想を言うと「素晴らしい」でした。
趣味でプログラミングを少し齧っているのですが、プログラミング関連の単語がちらほら出てきて、呼んでいる時とても楽しかったです。プログラミングを少しでもしていたり、興味があったりする人はより楽しめる内容だと思います。
ところで私は1997年生まれなのですが、この本は1996年発行。つまり私が生まれる一年前に書かれたことになります。ですが、とてもそうとは思えない内容です。特に技術面において、古さをあまり感じません。作者の事はよく知らずに読んでいたのですが、よほど知識のある方なのだろうと感心してしまいました。
さて、内容についてですが推理小説です。孤島、厳重なセキュリティに守られた研究施設、鍵のかかった部屋、という三重の密室の中で殺人事件が起こります。事件後、外部との状況が取れなくなり、しかも物語が進んでいくうちに何人か人が死にますが、不思議と陰鬱な雰囲気や、追い詰められる恐怖はありません。主人公二人がとても「理系的」(こんな言葉があるのか分かりませんが)なので、事件そのものについても、それを解いていくプロセスにおいても、数学的に処理していく様が小気味よいです。
全体を通して論理的な文章だという印象を受けました。最後に真相を明かす際、二転三転し、少し困惑させられましたが、落ち着いて文章を辿っていけばとても明快で、すっとしました。
推理小説が好き、論理的な小説が読みたい方は是非、読むべき一冊だと思います。
――――メモ
本当に「天才」は存在するのだろうか。
私は今まで会ったことがない。
両親ともに日本では超一流の大学を卒業しており、彼らの友人と会うこともあるが、「天才」だと感じた人とは会ったことがない。東大、慶応、早稲田、上智といった大学の学生にインタビューしたこともあるが、やはり「天才」はいなかった。確かに彼らは頭の回転が速く、とても論理的に、かつ興味を引くように上手く話す。だがそれは私の求める「天才」には程遠い。
ところで、一つ疑問がある。
もし私が天才と会ったところで、私は彼もしくは彼女が「天才」であると見極められるのだろうか。
私は自分よりある程度頭の良い人間を、頭が良いと認識することができる。幸い平均以上の頭脳は備わっているようで(両親の遺伝子に感謝)、今まで見てきた「賢い」人々を自分より上だと、頭が良いと認識することはできた。
だが、それより上の頭脳の持ち主を私は判定したことがない。判定できたことがないのかもしれない。IQが20違えば話は通じなくなるというが、それと同じように「天才」の域に達する人々を私は頭が良いの範疇では認識できなくなるのではなかろうか。
ともかく一度、「天才」に会ってみたいものだ。
――――備考
森博嗣のミステリー小説。
第1回メフィスト賞受賞作。
S&Mシリーズの第一作。
理系ミステリ。